大人気国民的グループ「AAA」のメインボーカルを務め、ソロ活動や、俳優など
マルチに活躍する『西島隆弘』を掘り下げます!
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歌手『西島隆弘』とは
所属事務所 | エイベックス |
生年月日 | 1986年9月30日 |
出身地 | 日本・北海道札幌市 |
職業 | 歌手、タレント、俳優、ダンサー、プロデュース |
ジャンル | J-POP、ダンス・ポップ、ヒップホップ、ジャズ、R&B |
身長 | 170cm |
血液型 | O型 |
活動期間 | 2003年〜 |
始まり
当時路上でギターを弾いていた際に近くでブレイクダンスをしている人を見てダンスに目覚める。
2003年中学2年生で札幌アクターズスタジオにスカウトを受け、その後本格的に技能を磨く。
高校在学中に5人組ボーカルグループ「japs」の初代メンバーに選出される。
同年8月、エイベックスのオーディションに合格。
翌年3月に「japs」を卒業し、上京。
約2年の下積みを経て、現グループである「AAA」が結成され、デビューシングル「BLOOD on FIRE」は
第47回日本レコード大賞 最優秀新人賞を獲得する。
俳優としても評価される
2008年から舞台にもいくつか出演していたがまだまだ演技経験が少ない中
2009年「愛のむきだし」に主演に抜擢される。この作品では父の愛情を求めて愛情を求めて
盗撮行為を繰り返す少年・ユウを熱演し高い評価をうけ、2009年度キネマ旬報ベスト・テン
「新人男優賞」、2009年度毎日映画コンクール「スポニチグランプリ新人賞」を受賞。
それから数々のドラマ、映画、舞台、ミュージカルと活躍の幅を広げていく。
演出家・蜷川幸雄との出会い
芸能界の雰囲気に閉塞感を感じ始めていた時期に、演出家である蜷川幸雄から舞台
「下谷万年町物語」の出演オファーを受ける。だが、本読みの段階で「戦後間もない時期の
話なのに、その頃の言葉遣いができていない」と駄目だしを受け、負けてたまるかと闘志がわき、
稽古後に台詞を当時の言葉に置き直して頭にたたき込み、役になりきって徹夜で何度も練習をした。
そのひたむきな努力の結果、最終リハーサルの前に蜷川から、「キミは僕にはないものを持ってる。
それをとことん見せて欲しい。間違っているものがあれば、イジメてやるよ。」と激励される。
ソロ活動始動
役者としての評価を得ることができたが、「歌手が本業なので、音楽で武器が欲しい」という
思いが強く、事務所に活動数年間分の企画書を自ら作成し何度も会議に出席しプレゼンをする。
また、自身で考えた作品を作り届けたいという思いで自ら作詞家、監督、カメラマンに声をかけ
女優のキャスティング、ロケハンまで行ったという。
そして、2013年に“Nissy”名義でソロ活動を始動。
初公開のMV「どうしようか?」はYouTubeの再生回数が短期間で驚異の数字を叩き出す。
その後もグループ、役者として活動を並行し続ける中、楽曲を制作し
2016年リリース「まだ君は知らないMY PRETTIEST GIRL」は女優有村架純が出演。
2人が踊るピンキーダンスがSNSで話題となり多くのメディアが取り上げニュースとなり
Youtube再生回数も伸び続け今では2600万再生回数を超えている。
ソロ活動3年目にして大阪城ホール2days、国立代々木第一体育館2days
更に追加公演として横浜アリーナにて“Nissy Entertainment 1st LIVE”を開催。
翌年の“Nissy Entertainment 2nd LIVE”では、アリーナツアー総動員数14万人。
追加公演では、日本人男性ダンス&ボーカリストのソロとして初となる
東京ドーム公演2daysで約10万人を動員した。
あとがき
歌手『西島隆弘』について掘り下げて見ました。
マルチな活動の裏には、常にエンターテインメントを追求し
努力をし続けるひたむきな姿が見受けられます。
今後の活躍に目が離せませんね。